『老人たちの裏社会』(著者:新郷由起)より

高齢者は弱者」という幻想を暴いた、『老人たちの裏社会』著者が語る“老いの孤独”

『老人たちの裏社会』(宝島社)が反響を呼んでいる。その内容は衝撃的だ。万引きにストーカー、DVに売春……。少年犯罪ではない。どれもれっきとした老人たちが犯した犯罪や犯罪スレスレの行為だ。キレる老人が話題に上ったことがあったが、そんなのはまだ常識の範疇だとさえ思えるほど、この本で描かれている老人たちの姿は想像を超えていた。老人はか弱い存在だったはずだ。いつの間に、こんなことになっていたのだろう。驚くべき実態を暴いた著者の新郷由起さんに、話を聞いた。

――まず、この本を書こうと思われたきっかけは?

 

新郷由起氏(以下、新郷) 世間には「老人は善良」「老人は弱者だ」という刷り込みがありますが、そうじゃない。スーパーで万引きの現場を見た瞬間、そう思いました。「この店は、年寄りを、いじめるんだよぉぉーっ!」と、万引きで捕まった高齢男性が叫んでいたんです。これはいろんなことが出てきそうだと思って幅広く高齢者を取材してみると、もう出るわ出るわ……。

 一口に万引き犯と言っても、いろんなパターンがあるんです。もちろん生活苦もありますが、気晴らしやストレス解消のようなものもある。高齢者の犯罪は、「孤独」と「貧困」が引き金と言われているけれど、そういう人がみんな罪を犯すわけじゃない。その違いは何なのか、もっと掘り下げて、リアルな高齢者の姿を世に出したいと思いました。それが「月刊宝島」(宝島社)に連載するきっかけで、そこに「週刊文春」(文藝春秋)へ寄稿した原稿もまとめて書籍化したのがこの本です。

――連載当時のタイトルは「半グレ化する老人たち」でした。まさに“グレた”というのがぴったりで、センセーショナルでした。特に、新郷さんも被害に遭ったという高齢男性からのストーカー。連日の電話攻撃、逆ギレなど凄まじいものがあります。

 

新郷 高齢者ストーカーの反響は大きかったですね。シニアの恋愛もそうですが、これまで、老人はいい人で色恋とは無縁という思い込みがあったのでしょう。「人徳者で欲情も枯れたはずの老人が、こんなことをするわけがない」と衝撃だったようで、各局のテレビ番組で取り上げられると、反応がたくさん返ってきました。若い女性からも、「私もこんなストーカー行為に遭った」と。これまで「お年寄りだから、邪険にしちゃいけないんじゃないか」と迷っていたんですね。ストーカーと、どこで線引きしていいのかもわからなかったのでしょう。それが「高齢者ストーカー」と、この本で定義づけできたことで、被害を表に出せた一面もあったかと思います。

――ストーカーは、セクハラのように、受け取る方の感じ方次第という面もありますね。

新郷 それは大いにあります。堀北真希と結婚した山本耕史も、客観的に見るとストーカーじゃないかと思えるほどのアプローチをしているんだけど、彼が才能、実力ともにある俳優さんだから、熱烈なアプローチだと好意的にとらえられていますよね。ストーカー行為をしている老人にも、自分がストーカーをしているという意識はまったくありません。ただの熱心な求愛行動だと思っている。

 取材した中には、会って2回目の高齢男性に「亡き妻の形見をあなたに」と言われて、「思い切り引いた」という女性もいました。これが福山雅治からだったら、ウットリしたのかもしれない(笑)。男性側からすれば、自分にとって最も大事な品だから、プレゼントすれば相手に自分の気持ちの深さが伝わるとしか思ってないんです。

 

■死ぬよりも老いることが難しい時代

――老人たちが“グレる”原因は何だと思いますか? 若い頃からそうした行為に走る要素を持っていた、という説もありますが。

 

新郷 昔、老人になるのは難しいことでした。身体的にも経済的にも恵まれた人だけしか、老人になるまで生き永らえることができなかったからです。ところが、今は誰でも老人になれる。だから、年を取って“グレた”のではなく、もともとそういう可能性のあった人が、年を取って顕在化してきたというのはあると思いますね。また、子どもの頃に敗戦とその後の混乱期を経験し、価値観がガラッと転換した結果、自己崩壊が起こって、暴力性が高まったという論説を唱える研究者もいます。それから、前頭葉の萎縮も原因のひとつですね。病症が相当進行するまでは、外見は普通で日常会話もまとも。それなのに脳がダメになっているんです。こういう人は判別が難しい。

――高齢化社会になり、“グレる”可能性を持つ老人の絶対数も多くなったのでしょうか。

新郷 65歳以上が4人に1人以上となって、もはや高齢“化”社会ではありません。既に“高齢社会”であり、“超高齢化社会”なんです。松田聖子が10年前に写真集を出したとき、イチゴ柄のビキニを着てバッシングを受けましたが、40歳を過ぎてそんな水着を着ても、今ではそれが別に叩かれることではないと思う。時代の移り変わりは目まぐるしく、今や60歳の還暦を迎えて、赤いちゃんちゃんこをもらって喜ぶ人は少ないでしょう。昔の60歳と今の60歳じゃ、意味も価値も全然違うんです。そもそも、65歳から100歳超までを一律に“高齢者”とくくるのにも無理がありますよね。およそ40年もの年齢差があるんですから。といっても、ものすごく若い80歳もいれば、くたびれ果てた65歳もいます。個人差は大きいですね。

――経済的な面も含めて、老後が二極化している気がします。いい年の取り方をするのは、難しいですね。

 

新郷 本のあとがき、カバー袖にも記したように、「死ぬよりも、上手に老いることの方が難しい時代になってしまった」。これが一番言いたかったことです。年を取ると、これまでその人がどう生きてきたかがあらわになる。その集大成が死んだときなんです。死の現場を8年取材して、しみじみと感じました。列席者が100人いても、その人たちがみな「せいせいした」という顔をしているお葬式もあれば、身内と縁が切れていて、同じアパートの下階に住んでいた、たった1人が骨を拾うお別れもある。でも、その1人が男泣きに泣いている。それだけで、亡くなった人がどれだけ大事な存在だったかがわかります。貧乏でも、1人で死んだとしても、それ自体はまったく悪いことなんかじゃない。「1人で死んでかわいそう」と、一方的に憐れむ方が本人に悪いですよ。

 

■誰からも興味を持たれないという孤独の深さ

――老後は孤独との闘いだろうとも思うし、いつ自分が本書に出てくる老人たちのように転落するかわからないという怖さもあります。

 

新郷 生きるエネルギーを、どう使うかでしょうね。「自分は1人で生き切る」と潔く覚悟できると、気は楽になります。中途半端な気持ちを持っている人が、ストーカーとかに走ってしまうんですね。『下流老人』(朝日新書)や『老後破産』(新潮社)が話題ですが、貧乏で孤独な人が全員不幸で、犯罪に走るわけではありません。そうした境遇でも立派に生きて、幸せな人はたくさんいますから、一緒くたにしたら失礼ですよ。どこまで自分の人生に納得できるか。納得できたら幸せじゃないですか。

――生きる目標があれば、グレないで済むんでしょうか。

 

新郷 たしかに、目標があれば生きられます。要は、自分をどこまで“使っているか”だと思うんです。現役の頃、何億というお金を動かしてきた男性が、リタイア後町内会の会計を任されています。たしかに、それはうれしいことなんですが、達成感ややりがいは思ったより少ないんです。その人のキャパが100あるうち、町内会の仕事で使っているのは30だけ。満たされていない残りの70を、自分でどう使うか、ですよね。

――そう考えると、高齢デリヘル嬢やAV女優は、プロとして自分を100%使っていますね。

新郷 性サービスに従事する高齢女性を描くことには、批判もあるだろうと覚悟していました。ところが、女性読者からは「立派だ」という声も少なくなかった。高齢女性が、自立して生活していて、それもその人の生き方だと認められている。一昔前なら、とてもそういう感覚はなかったと思うんですね。

――プロ意識を持っていて、カッコいいとさえ思いました。

 

新郷 本書にも登場している日本最高齢のAV女優は79歳。若々しいですよ。施設にいる私の母と同い年とは、とても思えないほどです。

 一般に、年を取ると誰かから興味を持たれたり、褒められることも減っていく。でも、それはまだいいんです。本当につらいのは、誰からも求められないこと。今回は、性サービス業の高齢女性にスポットを当てましたが、何らかの仕事や役割を担っている人、ちゃんと人から求められている人は、自負や自信、誇りを失わずに、それが若々しさを保つ一因にもなっている。「人から求められて生きる」って、老いるほど、とても重要なことになるのだと思います。

 

■「老い」を自分のこととして考える

――最初は読むのがキツイだろうと思ったんですが、読んでみると暗いだけじゃなくて、たくましく生きている姿が救いでした。

 

新郷 『老人たちの裏社会』『下流老人』『老後破産』は巷で、“老後絶望3点セット”と言われているそうです(笑)。いずれも暗いテーマの本ですが、売れており、この本も読者として想定していた50代男性だけでなく、20~80代まで幅広い層の男女に読んでいただいています。年齢にかかわらず、誰もが「他人事じゃない」と、自分の老いを考える時代になっているのだと思います。

――第二弾の構想はありますか?

 

新郷 『老人たちの裏社会』は、“今”の実態を切り取っていますが、第二弾ではさらに突っ込んで、一人ひとりの人生をもっと深く掘り下げて描く予定でいます。彼らの生きざまを通じて、理想の老いとは何か、真に幸せな老後とは何かを問い、各々自らの人生を考えるきっかけの一つになれれば。来春刊行予定です。

――最後に、新郷さんはどんな老い方をしたいですか?

 

新郷 実は「この人のように老いや死を」と思う理想が3人いるんですよ。1人目が、小泉淳作という画家です。美術界や権威に媚を売ることなく、自らの芸術を追求して、80歳を前に畳108畳にも及ぶ大作、「双龍図」(建仁寺)の水墨画を完成させた。お披露目の式典で「我が人生、最良の日です」とスピーチする姿に心震えて、自分もそうありたい、と。私の人生のモットーは「克服と成長」なんですが、これを積み重ねて、「この作品を書けて、わが人生最良の日」と言えるような作家になっていきたいですね。

 2人目は、女優のオードリー・ヘプバーン。若いときはもちろんキレイなんですが、年を重ねてしわは増えても、若い頃とはまた違った美しい笑顔が印象的で。中年期以降は特に恵まれない人のために尽くして、顔に刻まれたしわの一つひとつに生きてきた誇りがにじみ出ている。確かな人生を歩んだ人だけが醸す「いい笑顔ができる老人」になることは、理想の一つですね。

 そして3人目が、小説家・林芙美子です。彼女は、編集者と打ち合わせをして帰宅後、書斎で執筆中に原稿用紙に埋もれるようにして亡くなり、翌朝発見されました。死に方すら物書きとして本望だったのでは、と、妙に心惹かれるものがあります。

 とはいえ、既に私は彼女の享年を過ぎて生きていますけれどね(笑)。

 

 

 正直なところ、「こうはなりたくない」事例をたくさん見てきているだけに、この3つの老いと死が合わさったらベストかな、と。そういう思いがいつも心の中にありますね。